栃木県指定文化財(史跡)昭和45年2月13日指定
所在地 ■町田1712番地ほか
規 模 ●標高250m、東西90m、南北370m 築城者 ●千本十郎為隆 築城年 ●建久8年(1197) |
自然の地形を利用して築いた、典型的な山城である。別名を教ヶ丘城、須藤城などともいう。千本氏の祖である那須太郎資隆の十男、十郎為隆の築城とされている。本丸は標高250mの山頂にある。麓から階段状に屋敷割りし、二の丸と三の丸との間には高さ2mほどの土塁がある。本丸入口の左方に空堀、やや入ったところに番所跡があり、空堀の石垣は往時のもので、付近には姫屋敷跡がある。堅固な土塁と堀を遺しているが、天正13年(1585)に謀殺の悲話を残し落城したという。