栃木県指定有形文化財(彫刻)昭和36年5月6日指定
所在地 ■北高岡425番地 安楽寺
形 状 ●像高273㎝ 形 態 ●寄木造、彫眼、二重白毫、内刳 年 代 ●応永13年(1406) |
平安時代に流行した定朝様式。水平な髪際、小粒で整った螺髪、控えめな目鼻立ち、豊満な丸顔、張りのあるやや内輪した広い胸、浅く条線を刻んだ褶衣など、定朝流の特徴である。また、目尻がやや下方に鋭い角度をなして交わる両瞼などは鎌倉時代の様式である。台座の蓮弁は鎌倉時代の風をよく伝えている。左右の腕と手は別木で作り、膝は横木で前面の衣と褶は別木を用いている。万治3年(1660)時の住持航蓮社湛歴上人が京都の大仏師方誉拾圓を招いて大修理を行ったことが胎内の木札より判明している。昭和57年(1982)に、修復開眼法要が行われた。
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栃木県指定有形文化財(彫刻)昭和40年1月26日指定
所在地 ■桧山646番地 桧山薬師堂
形 状 ●像高88㎝、肩幅47㎝、膝開72㎝ 形 態 ●厚板寄木 年 代 ●鎌倉時代 |
東光寺(廃寺)付属の薬師堂の本尊で、鎌倉時代の作と伝えられる。ケヤキ造りの厨子内に安置され、秘仏とされている。漆箔は剥げ落ちているが、美しい眉と彫りの深い口元、広い胸が威厳と慈愛のある堂々とした姿を現している。光背・台座は江戸時代のものといわれる。脇侍に日光・月光菩薩立像が安置されている。
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栃木県指定有形文化財(彫刻)昭和34年3月13日指定
所在地 ■茂木754番地 安養寺
形 状 ●像高33.5㎝ 形 態 ●金銅鋳造仏 年 代 ●鎌倉時代 |
両菩薩は善光寺式「一光三尊仏」の脇侍で、ほぼ同型の金銅鋳造仏。白毫・彫眼・日輪向背を有し、宝冠の各面には華麗な宝相華唐草紋様がある。異なる点は、手相と八角形の宝冠の正面に、それぞれの標識である如来像と水瓶をつけていることである。なお、勢至菩薩には一部焼け焦げた痕がある。二尊の両肩先は本来の胸前で手を合わせる梵篋印ではなく、来迎形の印相に変わっている。おそらく来迎思想の普及にともなって、江戸時代にこのような印相に変えてしまったものと思われる。安養寺は鎌倉時代の開山で、曹洞宗の寺院である。
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栃木県指定有形文化財(絵画)昭和54年4月24日指定
所有者■茂木町
作者●小泉斐(1770~1854) 仕様●縦132㎝、横56.5㎝、縦軸仕立 年代●江戸時代 |
小泉斐が師である島﨑雲圃に画才を認められた頃の作と言われる。碓女命が懐手した左手で乳房をおさえ、右手はてのひらを上へ向け、肘を曲げて立て、開いた口と墨をぽっとおいた目が感情的である。また、小枝や葉がついた枝を持つ猿田彦が目を見開き、口を真一文字に結び、ぎょっとしてたじろいでいるさまも無造作に描かれ、筆のタッチも力強い。斐は号を子章・檀山などといい、益子町 木村市正の二男として生まれ、後に黒羽町(大田原市)の小泉家の養子となった。幼い頃より画を好み、島﨑雲圃に画を学んだ。特に雲圃の描いた鮎の絵は斐にも影響を与え、共に鮎図は両者を結ぶ接点ともなっている。
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