栃木県指定有形文化財(彫刻)昭和40年1月26日指定
所在地 ■桧山646番地 桧山薬師堂
形 状 ●像高88㎝、肩幅47㎝、膝開72㎝ 形 態 ●厚板寄木 年 代 ●鎌倉時代 |
東光寺(廃寺)付属の薬師堂の本尊で、鎌倉時代の作と伝えられる。ケヤキ造りの厨子内に安置され、秘仏とされている。漆箔は剥げ落ちているが、美しい眉と彫りの深い口元、広い胸が威厳と慈愛のある堂々とした姿を現している。光背・台座は江戸時代のものといわれる。脇侍に日光・月光菩薩立像が安置されている。
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栃木県指定有形文化財(彫刻)昭和34年3月13日指定
所在地 ■茂木754番地 安養寺
形 状 ●像高33.5㎝ 形 態 ●金銅鋳造仏 年 代 ●鎌倉時代 |
両菩薩は善光寺式「一光三尊仏」の脇侍で、ほぼ同型の金銅鋳造仏。白毫・彫眼・日輪向背を有し、宝冠の各面には華麗な宝相華唐草紋様がある。異なる点は、手相と八角形の宝冠の正面に、それぞれの標識である如来像と水瓶をつけていることである。なお、勢至菩薩には一部焼け焦げた痕がある。二尊の両肩先は本来の胸前で手を合わせる梵篋印ではなく、来迎形の印相に変わっている。おそらく来迎思想の普及にともなって、江戸時代にこのような印相に変えてしまったものと思われる。安養寺は鎌倉時代の開山で、曹洞宗の寺院である。
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栃木県指定有形文化財(絵画)昭和54年4月24日指定
所有者■茂木町
作者●小泉斐(1770~1854) 仕様●縦132㎝、横56.5㎝、縦軸仕立 年代●江戸時代 |
小泉斐が師である島﨑雲圃に画才を認められた頃の作と言われる。碓女命が懐手した左手で乳房をおさえ、右手はてのひらを上へ向け、肘を曲げて立て、開いた口と墨をぽっとおいた目が感情的である。また、小枝や葉がついた枝を持つ猿田彦が目を見開き、口を真一文字に結び、ぎょっとしてたじろいでいるさまも無造作に描かれ、筆のタッチも力強い。斐は号を子章・檀山などといい、益子町 木村市正の二男として生まれ、後に黒羽町(大田原市)の小泉家の養子となった。幼い頃より画を好み、島﨑雲圃に画を学んだ。特に雲圃の描いた鮎の絵は斐にも影響を与え、共に鮎図は両者を結ぶ接点ともなっている。
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栃木県指定有形文化財(絵画)昭和54年4月24日指定
所有者 ■茂木町
作 者 ●島﨑雲圃(1730~1805) 仕 様 ●縦98㎝、横145㎝、幅仕立 年 代 ●寛政元年(1789)「寛政己酉季秋」の銘あり |
早瀬をさかのぼる鮎の群を描いたもので、波間を遡上する姿態を的確に軽快に生気を示して表現され、画趣清淡、涼風を覚える感がある。雲圃60才の時の作で、没骨の画法で描かれている。没骨法とは、輪郭線を用いず水墨や彩色で物を形づくる方法で雲圃は没骨の画法を人物画に応用した業績で知られる。雲圃は、近江日野の商人島﨑利兵衛家の3代目で、絵を近江日野の高田敬輔に学んだ。
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