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栃木県指定記念物(天然記念物)平成2年1月26日指定
所 在 地 ■小井戸325番地 荒橿神社
推定樹齢 ●約800年 大 き さ ●樹高25.5m、目通り周囲6.2m、 枝張り:東西25.0m、南北21.0m |
ケヤキはニレ科の落葉樹で、本州各地に広く分布している。大木となり、昔から硬い良材の代表とされ、家や社寺の建築に用いられている。荒橿神社は旧県社で、主祭神は國常立尊・國狭槌命・豊斟渟尊。延喜式神社に列し、大同元年(806)の創建と伝わる。戦国時代には茂木城の鬼門除けとして厚く信仰され、江戸時代には茂木藩主細川興栄により本殿が再建された。神域にはケヤキ以外にも樹齢500年余の杉などの老樹が生い茂っている。
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- 作成者:ふみの森もてぎ
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栃木県指定文化財(史跡)昭和45年2月13日指定
所在地 ■町田1712番地ほか
規 模 ●標高250m、東西90m、南北370m 築城者 ●千本十郎為隆 築城年 ●建久8年(1197) |
自然の地形を利用して築いた、典型的な山城である。別名を教ヶ丘城、須藤城などともいう。千本氏の祖である那須太郎資隆の十男、十郎為隆の築城とされている。本丸は標高250mの山頂にある。麓から階段状に屋敷割りし、二の丸と三の丸との間には高さ2mほどの土塁がある。本丸入口の左方に空堀、やや入ったところに番所跡があり、空堀の石垣は往時のもので、付近には姫屋敷跡がある。堅固な土塁と堀を遺しているが、天正13年(1585)に謀殺の悲話を残し落城したという。
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- 作成者:ふみの森もてぎ
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茂木町指定有形文化財(考古資料)昭和60年10月1日指定
所在地■深沢983番地 法幢寺
形状●碑高125㎝、碑台高さ55㎝ 年代●貞享4年(1687) |
江戸時代の三大仇討の一つに、浄瑠璃坂の仇討がある。宇都宮藩士だった奥平源八ら42名が、3年5か月間、深沢村の黒羽藩領で隠密行動を続け、寛文12年(1672)江戸の浄瑠璃坂で本懐を遂げたものである。碑は仇討成功後の貞享4年(1687)、仇討側の中心人物である奥平源八・奥平権平・夏目外記の三名が深沢村を訪れ、法幢寺および深沢村の人々の人情に感謝し、お世話になった礼として参道の石段を寄進したときのものである。歴史学上重要な碑であり、保存状態もよい。旧参道の入り口に建立され、現在の参道より北側にあり、台座を付けて保存されている。
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栃木県指定文化財(史跡)昭和51年4月13日指定
所在地 ■塩田226番地 能持院
規 模 ●東西27.0m、南北11.8m、面積318.6㎡ 形 態 ●宝篋印塔 1、石燈籠13 |
能持院の左奥の杉木立の中にある。茂木藩主であった細川氏の初代興元から9代興貫まで、墓石を設けずに墓標として1本の杉を植え、その前に没年月日を陰刻した石燈籠を設けている。これは墓制史上きわめて特異で、県内では唯一である。老杉はありふれた墓石とは趣を異にして荘厳であり、禅寺の墓所にふさわしく、細川家の威光を無言のまま誇示しているようである。
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- 作成者:ふみの森もてぎ
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